今回は、混同されがちな自傷行為と自殺企図の違いについて解説します。
「どちらも死にたいから自分を傷つけてるんだから一緒でしょ?」との考え方もあるかもしれません。たしかに、みんな死にたいほどつらいから自らを傷つけています。しかし、そのように単純に割り切ってしまうと彼らの理解にはつながらず、理解なくしては援助も困難です。
自らを傷つけるという逸脱した行為について、理解を進めることが援助への第一歩なんです。
致死性の予測⇔非致死性の予測
教科書的に、自殺企図と自傷行為の違いを述べるとするならば、2つの違いは「致死性の予測と非致死性の予測」の違いで定義される場合が多いです。
- 自殺企図の定義:自殺の意図から、致死的な手段・方法を用いて、致死性の予測(「これだけのことをすればきっと死ねるだろう」という予測)のもとに自らの身体を傷つける行為
- 自傷行為の定義:自殺以外の意図から、非致死的な手段・方法を用いて、非致死性の予測(「この程度ならば大丈夫だろう」という予測)に基づいて自らの身体を傷つける行為
たとえば、日本の自殺既遂者の手段の大半(6割前後)は縊首(首吊り)を用いています。しかし、刃物刺傷による自殺既遂者は1%程度しかいないのです。服毒による既遂も刃物刺傷よりは多少多い程度です。
よく世間でみられるリストカットという方法は致死性が低い自損行為であり、過量服薬ですら比較的致死性の低い方法であって、いずれも自殺の手段とはなりにくい方法なのです。
よってリストカットや過量服薬は、非致死性の予測に基づいた自傷行為である可能性が高いと考えられ、縊首や飛び降りなどの致死性の予測に基づいた自傷行為は自殺企図である可能性が高く、より注意が必要であると考えられるのです。
ここで重要なのは、「リストカットや過量服薬は自殺に移行するリスクが低いので、あまり注意をしなくてもよい」と勘違いしないことです。非致死性の予測に基づいた自傷行為であっても、死にたいくらい辛い感情からなされていることは多く、いずれは致死性の予測に基づいた自殺企図に移行していくかもしれないですし、数多く繰り返す中で死に至る可能性も十分にあるのです。
また、行為そのもののから推察される致死性の予測と、当事者の致死性の予測が必ずしも一致するとも限らないでしょう。
自傷行為は自殺企図に移行していき、さらに自殺既遂に移行していく可能性を十分に持っていることを重々承知することが大事なのです。
背景にある精神的苦痛の違い
前述したとおり、自傷行為と自殺企図には違いが存在しているのですが、現実には明確に分かちがたい場合も少なくありません。
しかし、その背景にある精神的苦痛には決定的な違いがあると言われています。
- 自殺企図の背景にある苦痛:「耐えられない」「逃げられない」「果てしなく続く」。
- 自傷行為の背景にある苦痛:間欠的もしくは断続的。時々激しく痛み、和らぎ、また痛む。
背景に上記のような特徴があることから、自殺企図と自傷行為には以下のようなニュアンスの違いが生まれます。
- 自殺企図:脱出困難な苦痛を解決するために「意識を永年に終焉させる」方法
- 自傷行為:自分の意識状態を変容させることで何とか苦痛を「一時的にしのぎ」、その瞬間を「生き延びるため」に行われる方法。
上記のそれぞれの行為の違いを理解すると、目の前に自身を傷つけた人が現れた際の評価方法として、背景の苦痛をどのように考えるかが、その実態を理解したうえで有効であると導出されますね。
つまり「その苦痛の強さは?持続時間は?除去されないものなのか?なぜそのような苦痛が起きているのか?」考えるということが、彼らの理解をするうえで重要であるといえるのです。
苦痛がどうあがいても持続するような状態であれば、いずれは死に至る自傷行為に移行していく可能性が高いと言えるでしょう。
まとめ
自傷行為と自殺企図を評価、理解するうえでのポイントは以下の2点になります。
- その行為の致死性の予測はどうか?
- 背景にある精神的苦痛はどのようなものなのか?やむことはないのか?
まずはこれらについてしっかり考えることが、その行為の理解につながり、援助の始まりとなっていくのです。